監督日記「チームに哲学はあるか①〜定義:真理の探究と自然科学」

大学時代に受けた講義に「哲学入門」があった。

講義のガイダンス、冒頭に教授が一言「居酒屋で飲んで、俺の人生はこうだなんてしゃべってる話は哲学ではない。人生哲学をしゃべってスッキリするのは構わないが、くれぐれも哲学と混同しないように。」と言い放った。

続けて「哲学とはSophia(智慧)を愛する態度である。知への探究であり、エプステーメー(真智)を求めドクサ(臆見)を退ける姿勢、すなわち自然科学の歴史と言ってもいい。」と説いた。

講義を受けたのもずいぶんと昔のことになったので、曖昧な点もあり解釈違いもあるだろうが、19歳の春に受けた講義は、自分の中の「哲学」の定義を決定づけるものとなった。

何故こんなことを思い出したかと言えば、先日参加しているオンラインサロンのテーマが「チームの哲学」だった。

おおよそ、その会では「哲学」≒「方針」との定義で話は進められた。この定義に私も異論は無かったが、ふと前述の定義も頭をよぎった。

オンラインサロンのミーティングで私が話した「チーム哲学」はすなわち、真智を求める自然科学というべきか、件の教授の言うところの、経験則により積み上げられた「居酒屋哲学」に過ぎないのか。

チームが哲学を持っているのであれば、真智を追い求める姿勢はあるのか。そして何により表現されているのか。

チーム哲学を考えるために、思い出した「哲学」の定義。

リバティーズに哲学はあるのか!?
そして、多くのチームに哲学はあるのか!?
ブログ執筆を通じて、文章化を試みてみたい(初のシリーズ記事!!)

こんな少年野球らしからぬブログを書くチーム、ぜひ見に来てみてください。
「哲学」があるのか、その目で見極めてください。

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