監督日記「チームに哲学はあるか②〜指導のエビデンスと反証可能性」
科学的であるということの定義に「反証可能性」という要素がある。
科学の理論は実験や観察の結果によって、批判あるいは反論することが可能である前提がある。
感覚や経験によって断定されたり否定のしようがないものは科学的とは言えない。
リバティーズら運営方針の一つに下記の文言を定めている。
『1)指導者は、常に科学的・合理的な指導方法を研究し、罵声・怒声の指導は固く禁ずる。』
引用:〈運営方針〉
つまり、リバティーズの指導は実験や観察の結果によって反論されたり覆されたりする可能性があるということである。
言い換えれば反論のしようがない断定的な指導は必要としないし、用いてはならない。
「自分はこうだったから。」
「とにかく、言う通りにすればよい。」
感覚や経験、誰かの成功体験だけがエビデンスの指導は反証可能性はなく、科学的ではない。
立ち戻って、哲学の定義に照らし合わせるならリバティーズの指導は常に反証可能性を含み、そして、指導者こそ研究と研鑽を積んでいく姿勢が求められる。
それこそ、リバティーズの定義する『哲学』そのものとなる。
一つ一つの言葉に「なぜならば…」を添えて
選手一人一人に「どう思う?」を問いかける
「どうしたい?」を投げかけて
選手の「こうなりたい。」を実現したい
参加する保護者、選手たちの満足度を高めるために様々な環境をデザインし、提案と提供をする。
個々の場面に合わせて、仮説を立て、実践し検証していく。
その一つ一つの仮説それぞれを「哲学」と呼ぶよりも、真智を追求するチームの姿勢そのものを「哲学」と呼びたい。
チームに「哲学」はあるか。
選手に「哲学」を問うているか。
このような問いを投げかけるオンラインサロンもまた哲学的である
さあ、リバティーズの挑戦はまだ始まったばかり。
共にこの「哲学」に挑みたい仲間を募集しています。
チームへのお問い合わせはcontactからお気軽に。
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